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“信頼できない語り手” --わたしたちが孤児だったころ 

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イシグロ作品3作目です。
この作品について、作品そのものを読み終わった直後よりも、訳者のあとがきを読んで「ああ、なるほど」と思いました。


訳者があとがきで触れている『イシグロ作品に常に登場するUnreliable Narrator(信頼できない語り手)』(P412)です。


「日の名残り」も「わたしを離さないで」も主人公の語りで作品が展開されていて、“信頼できない語り手”というキーワードを通すと、ストンと落ちてくるものがあります。 


フロイトが患者の語りを聞いているとき、幼少期における性的虐待のエピソードが患者から出てきて、しかし、実際にはそんな事実はなかったという症例もあったそう。
これについてはいろんな観点から眺めることができますが、実際にそういった事実があったかどうかに着目するのではなくて、患者にとってそういう内的現実があるということに目を向けることが精神分析では大切になってきます。
事実は変わらないけれど、内的現実は変容していけるのです。 


逆にいうと、“語り”って実はとても曖昧で難しい。
同じ事実でも、人が異なると見方は幾通りにも変わってくる。

中学生の頃にリンゴの例えを先生から教えてもらいました。

リンゴに小さな傷がついています。
Aさんは「小さな傷はついているけれど、このリンゴは実においしそうだ」と言い、Bさんは「このリンゴには傷がついている。せっかくのリンゴも傷がついていては台無しだ」と言います

聞き手はリンゴが見えない状態でAさんとBさんの語りを聞くと、同じものを語っているのにリンゴに対する印象は変わってきます。
語りは“騙り”でもある。 


しかし視点を変えて見ると、語りはその人の内的現実がよく表れているのでしょう。
語りは客観的事実ではなく、その人の語りです。
客観的事実を述べたければ、3人称を使えばいい。
(3人称でも、書き手の味はつくし、完全に客観的事実が描かれるかと言ったらそうでもないことも多いけれど。まあそれはさておき)




と、ここまで書いて作品についてまったく触れていないことに気づきました。
わたしは前半の主人公の冷静に見つめようとする語りと、後半の冷静さを欠いた語りに、大きな違和感を感じたからです。
つまり、語り手(主人公)を信頼して読んでいたはずなのに、この語り手を信用していいのだろうかと後半は不安になりながら、ストーリーを追っていました。
探偵という客観的な視点をフルに活用して事件の謎を解いていく職業の人にあるまじきほど、主観的で盲目的といっていいほどの行動をとる主人公に、どうなんだそれと思い続けて、最後にはいろんな意味で裏切られて主人公と一緒に絶望に襲われてしまって。
訳者のあとがきの「信頼できない語り手」にああなるほどと膝を叩いたのでした。



“信頼できない語り手”として、主人公の内的な世界に思いを馳せながら読むと、また違った感触を楽しめるかもしれない、と思いました。
分厚いのでしばらくは読み返さないと思うけど、また再読してみたいです。
そして、次のイシグロ作品は“信頼できない語り手”というキーワードを頭にとめながら読んでみようと思いました。





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by minori_sb | 2017-06-17 07:30 |

贈り物 --わたしを離さないで


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あとがきに、この物語の謎について書かれている。
イシグロ氏は、大学の教授に「ネタバラシOK」のお墨付きを与えたとのことだが、その教授は学生相手に本書の紹介をするときはやはり謎を明かせなかった、というエピソード。

確かに、この物語の中核である謎を知るのと知らないのでは、読んでいるときのなんだろう? のドキドキ感は全然ちがう。
しかし、物語を語るときはこの謎がないと話にならない。 
まるでミステリーみたいでしょう。
ミステリーではないけれど、少しずつほんの少しずつ明かされていく謎は、この物語を読む醍醐味でもあるのです。


もし、この文章を読んで気になった方は、ぜひ本書を読んでほしい。
できたらそのあとに、この続きを読んでもらえるとさらに嬉しい。


この本を読み終わったときに、ふと思い出したのは、精神科医の成田善弘先生の『贈り物の心理学』という本でした。
『わたしを離さないで』は贈り物の物語だと思いました。


 

贈り物の心理学

成田 善弘/名古屋大学出版会

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以下謎にまつわるネタバレが含まれます。
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by minori_sb | 2017-05-20 07:15 |

たそがれ時 --日の名残り

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はじめてのカズオ・イシグロです。
今年はカズオ・イシグロを読んでみようと。(現在3冊目を読んでいます)



以前NHKでダウントン・アビーという英国貴族のドラマを見ていたので、イメージがしやすかったです。
視覚情報の効果って大きいですね。

特にすごくアクティヴな展開があるわけではないけれど、スティーブンスの真面目な(とっても生真面目な(笑))なかに見られる執事としての品格のこだわり、主人への敬愛する思い、ミス・ケントンとのやりとり、そして道中のイギリスの情景。
どれもしみしみと染み渡ってきます。


ミス・ケントンとの念願の再会シーンも、お互いの礼儀を重んじるなかになんとも言えない気持ちの交流があって、その控えめだけれど相手を尊重する感じがイギリスらしいなあと。(単純にイギリスらしいと言っていいのか悩むのですが…)


終盤の、スティーブンスに声をかけた男の言葉がとっても印象的でした。

「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ」(日の名残り P350)

夕方をそんなふうに考えたことがあったかな。
とても素朴で、でもとてもいいなと思います。


日の名残りは、人生の夕方とも言えます。
たそがれ時です。
人生の夕方を、そんなふうに感じられるととっても素敵ですね。



日の名残り (ハヤカワepi文庫)

カズオ イシグロ/早川書房

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by minori_sb | 2017-04-15 07:31 |

影との戦い ゲド戦記1 / シュークリーム


ジブリ版のゲド戦記は見たことがあったのですが、原作を読むのははじめて。
ジブリのが好きすぎて、逆に原作に尻込みしてしまいました。
原作を読んだことのある方のお話を伺っていると、これは気合いを入れて読まないと、という気持ちになったからです。



今年の夏にやっと1巻を読むことになりました。
やっぱり想像以上に壮大。ル=グウィンはすごい作家です。


しかし、しかし。すごすぎるからでしょうか、面白かったのですが、なかなか前に進めません。
読んだのが8月。お菓子をつくったのが9月。そしてブログを書いているのが11月。
2巻はまだ読み進める気配が見えず。
なんとなーく、やはりハードルが高く感じられます。
わたしにはまだ時期尚早なのかなあ。
それくらい襟元を正して読まないと、と思ってしまう本。

本との付き合い方も、それぞれですね。
たぶん、本そのものと向き合うよりも先に、作者や本の評判のほうが先にインプットされてしまい先入観ばかり強くなってしまったのも要因かもしれません。
困ったなあ。先入観を外さないと。



1巻は若者ゲドが一人前の魔法使いになるまでのストーリーが展開されます。
若さゆえの無謀さとか、剛胆さとか、とてもわかりやすい。
その代償の大きさも。最たるものが題名にもあるように「影との戦い」です。


これはもう言い古された言葉だと思うけれど、それでも若い頃には無茶をしておいていいと最近思います。
自分がもう「若者」の域を出ようとしているから、急に実感として湧いてきました。
無茶ができるのは若者の特権だし、若いうちに苦労はできるだけしておいたほうがいい。
ある程度の年齢に達すると、もうしたいと思ってもできなくなるから。


ゲドがやったことはそれこそ若さ故の過ちでもあるのだけれど、一度その派手な行動化を行って、それこそ痛い目を合わないと気がつかないこともある。
10代、20代のころのわたしは、失敗しないように、先にさとりを得ようとして行動を起こせないことが多かった。
いまだから思えるのだけれど、実にもったいないことだった。


わからなくてもいい。がむしゃらにやればいい。
もちろんどこまで痛い目を見るかはわからないけれど、そうして体当たりをしないと気がつかないこともあるし、20代くらいまでは多少の無理は大丈夫、それが若いということの特権だ。



なんて言っているけれど、あと10年したら「それでもあのころはいまより若かったんだからもっといろいろやったらよかったんだよ」って思うかもしれませんね。
はい、年寄りくさくならずいまの自分でがんばります。


言葉のひとつひとつ、世界観のすみずみにまで叡智が隠されているようで、このシリーズとのつきあいは長くなりそうです。
腰を据えてじっくりと取り組むことになりそう。



 *


今回はシュークリームをつくりました。
シュークリームって魔法みたいだと思いませんか。
小麦粉と卵と牛乳と、絶妙さが要求され、パウンドケーキみたいにとりあえず混ぜとけばなんとかそれなりのものができるということがない。
ミノリはこれまでに何度か挑戦しているのですが、元来が不器用なのでいまだに成功できていません。



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今回も大失敗!
なんとかいちばん見栄えのよい皮で、かろうじてシュークリームに見える?


そろそろシュークリームをつくるのは諦めたほうがいいのかなあと感じています。
才能の限界を知ることも、己を知る上で大切……なのかもしれない。
シュークリームひとつにやや大げさではありますが。





影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫)

アーシュラ・K. ル=グウィン / 岩波書店


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by minori_sb | 2013-11-19 05:41 |

グレート・ギャッツビー



映画「華麗なるギャッツビー」を見てから約ひと月後。
今度は原作の「グレート・ギャッツビー」を村上春樹さんの訳で読みました。



映像のイメージの影響力は否めないけれど、映画では拾いきれなかった登場人物の描写がいきいきと伝わってきて、新たな視点をいただきました。


例えばニックはけっこうギャッツビーの過去に懐疑的であったこと。
デイジーは現実的な視野を持ったお嬢さんであったこと。
ミス・ベイカーはニックにそれなりに好意を抱いていたこと。
(原作のミス・ベイカーは作品のなかで個人的にいちばん好きでした)


でもなにより感じたのは、ギャッツビーが想像以上に壊れそうなくらい繊細な純真さをもって描かれていたことでしょうか。
映画でははじめのほう、完璧な男のように描かれている感じがしたのですが、(ネタばらしを知っているからかもしれませんが)原作ではデイジーのためにそれこそ必死に砂の上にお城をつくっているように思いました。
すべてはデイジーのために。



巻末に村上春樹さんのあとがきが載っています。
ミノリは残念ながら、はじめにフィッツジェラルドありきではなくて、村上春樹さんがすごく好きで、そこからフィッツジェラルドに入ったので、どうしてもそういうフィルターが存在します。

もしなにもないところで、先入観なしにこの小説を読んだら、春樹さんがいうような感動が自分のなかに芽生えただろうか。


疑問符がつきます。
理由のひとつは、おそらく自分がアメリカ小説に馴染みがないこと。文化差の問題。
きっと、そこまでいうほどのこの小説のすごさを感じる間もなく過ぎ去ってしまいそう。
正直読み終わったときは、そこまで感慨深くありませんでした。



でも、現実にわたしはここで小説を手にし、読んでいる。
日本の作家さんが好きで、そこから不思議な縁で出会えた小説。


感慨はあとからじわじわと、潮が満ちてくるように気がつかないうちに訪れます。
また時を置いて、いつか読み返してみたいなと思える小説でした。
第一次接近は、ひとまず成功といえると思います。



 *







グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

スコット フィッツジェラルド / 中央公論新社





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by minori_sb | 2013-10-05 06:53 |

マイ・ロスト・シティー



映画「華麗なるギャッツビー」を観にいったことを友人に話していたら
本棚の奥から見つけたと貸してくれました。
フィッツジェラルドの短編集です。


ギャッツビーを観たあとで、そのイメージが強いせいでしょうか。
そこかしこで、ギャッツビーに似た、どこか物哀しい純粋さを感じました。
フィッツジェラルドという作家が持つ純粋さなのでしょうか。
今回はじめてかの有名な作家の本を読むので、まだ掴めていないことも
きっとたくさんあるのでしょうが。



全体的に、その時代のアメリカを表しているよう。
眩いばかりの光の残像。実体のない虚像。
失われてしまったなにか。



全体的に明るいお話というよりは、物哀しいお話が多いです。
でも、不思議と読んでいて絶望的に暗い気持ちにはならない。
こんなにも救いようがない展開がつづくにもかかわらず。

文体が、とても美しいのです。
翻訳だから、原文の雰囲気をどこまで再現できているかわかりませんが。
(でも村上春樹さんだからという理由で信頼している自分がいます)
そこに描かれている人々が、どこかとても美しい。
ゆえに、暗闇でかすかに輝く宝石を見つけたような気持ちになる。


現在はついに「グレート・ギャッツビー』を読んでいます。
気がつけば読書の秋ですね。




マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)

フランシス・スコット フィッツジェラルド / 中央公論新社





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by minori_sb | 2013-09-03 07:07 |

アンナ・カレーニナ4


5月から読みはじめること約2ヶ月。
いよいよ完結しました。長かったー


読み返すまですっかり忘れていましたが、アンナが自死を思い描くようになったように、リョーヴィンもまったく立場も状況も違いながら同様に希死念慮があったこと。
人が自らに死を思うことは、どんな状況下で起きるかわかりません。
一見まったく縁のないように思える人にでも起こりうるものです。


でも、このふたりに関していうとなにが決定的に違っていたか。


それは、アンナがその思いに取り憑かれていた、その考えが生活の中心になっていたのに対し、リョーヴィンはそんな思いを抱えながらも日々の生活を周囲の人々とのやりとりを黙々と忠実にこなしていたことではないでしょうか。


日々の仕事をひたすらにこなす。毎日を生活しつづけることを続ける。


一見当たり前で「なんだ、そんなことか」と思えることがいかに大切か。
そのなかで家族や周囲の人々との結びつきが、その人の支えとして重要であるか。
うつ病の人は、それができなくなるから大変なのです。


リョーヴィンはやっぱりこれからも何度も悩み続け、いかに生きるべきか考えつづけるし、迷いつづけるのだろうと思います。
彼ってそういう人種です。
世の中にはそうならなくていい人もいるけれど、そうならざるを得ない人もいる。


でも、キティや息子、これから増えるかもしれない家族、周囲の人々に囲まれながら、毎日忙しく益にならないように思えることもたくさんこなしながら、毎日を過ごしていくのでしょう。
でも、生きていける。生きるとはそういうことだから。



リョーヴィンはアンナの生きられなかった反面なのかもしれません。
もちろん男と女、立場の違いもあるから完全とはいえず、ふたりが邂逅したときには完全にアンナの手中にはまったリョーヴィンくんでしたが(笑)。


ちなみに映画の最後が、リョーヴィンではなくカレーニン親子で締めくくられたのは、なんだか感慨深いですね。
わたしはなぜかあのラストがものすごく気に入りました。





アンナ・カレーニナ〈4〉 (光文社古典新訳文庫)

レフ・ニコラエヴィチ トルストイ / 光文社



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映画アンナ・カレーニナ
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by minori_sb | 2013-07-13 18:51 |

アンナ・カレーニナ3


いよいよ第3巻です。
リョーヴィンとキティの結婚、新婚生活、カレーニン氏とリディヤ・イワーノヴナ夫人の新たな関係、そしてアンナとヴロンスキーに取りに広がる確執、主婦ドリーの幻想と現実と、さまざまな人の想いが物語を盛り上げています。


個人的に、後半のドリーがアンナを訪問するくだりが好きです。
彼女らしさがよく表されています。

物語のなかで、ドリーは現実に根ざしながら、そうじゃない生活(例えばアンナのような)への羨望も持ちえ、それでもなお地に足をつけて生きていこうとする人の典型として描かれています。
苦しみもあるけれど、喜びもある。
葛藤を抱えながら生きる。

ドリーの生き方って物語としては地味だけれど、生きる上での幸福ってこんなところにあるように思います。
おばあさんになって、死ぬ間際、多くの家族に囲まれて、大変だったけれどそう悪くもなかったなあと思えるような人生。
アンナが選ばなかった道を選んだ人。
華々しさはなくても、とても素敵だと思います。


さて、今回はふたりのアレクセイについて取り上げます。

夫と愛人が同じ名前を持っているというのは、とても変な感じ。
しかし、そこに物語の意図が潜んでいるような気がします。

アレクセイは、コインの表裏、光と影、(アンナにとっての)現実と理想(うまく言い表せていない気がするのですが、とりあえず理想と書きます)を表しているよう。
アンナにとって生きられなかった半生がヴロンスキ―にあるのなら、ヴロンスキ―はカレーニンという夫(現実)に対して理想である。
どちらが表か裏か、光か影かは、お互いの視点によって変わるので一概には言えませんが。

でも、ここの第3の属性。子どもが入るから話がややこしくなる。
アンナには現実(カレーニン)は嫌だけど、セリョージャは愛している。
そして、理想(ヴロンスキ―)との子どものアニーにはあんまり愛情を感じていない。

本来なら、愛する人との子どもなんだからそっちのほうがより可愛いんじゃないの? となるところなのですが、しかもアンナはドリーにきっぱりともう子どもはつくらないと宣言している。
アンナにはセリョージャこそが息子なんです。
でも現実(カレーニン)は否定している。理想(ヴロンスキ―)に生きようとしている。でも息子(カレーニン属性)は断ち切れない。

そもそも子どもという存在が、理想世界ではないんですよね。
子どもは一個の人間です。いやでも現実を帯びてくる。
だから、世間と隔絶して、ヴロンスキ―との世界に生きようとするとき、子ども(アニーやセリョージャ)っていう現実はアンナに自己矛盾を引き起こすのだろうと思います。

しかもヴロンスキ―は男性として当然と思うのですが、将来設計をドリーに打ち明けています。
自分のものを子どもに残していきたいと。
それはアニーだけじゃなくて将来生まれる自分の子ども(きっと男の子)を想定しています。
さあ大変。理想世界の人も現実を帯びてきました。

アンナがカレーニンをあれほど嫌悪し、3巻ではヴロンスキ―に嫌われまいと涙ぐましい努力をしている。
そこにほんとうに愛はあるのだろうかと疑いたくなっちゃうアンナの必死に保とうとする自らの世界。

アンナが相手にしているのは、アレクセイというものではないか、と思うのです。
つまり、ヴロンスキ―が彼女の運命の相手だったのではなく、カレーニンとの結婚が間違っていたのではなく、アレクセイという男性的対象が光と影の側面としてふたりの人間に分裂しているのかなあと。

うまく生きる人は、現実を保持しながらなんとか影の世界も体験して統合させていくのかもしれません。
でも、アンナはそれができなかった。

ドリーのくだりと対比させても、アンナとドリーも対だなあと思います。
理想に憧れつつも現実を生きようとするドリー。
現実を否定しながらも息子への想いを断ち切れない理想に生きようとするアンナ。


アンナとリョーヴィンも対になっていると前回書きましたが、こうしてみるとアンナ・カレーニナは実に複雑に対立構造が重層化しているように感じられます。



 *






アンナ・カレーニナも残すところあと1巻。
実はもう読み終わっているので、お菓子をつくりながら、最後の感想をまとめたいと思います。



アンナ・カレーニナ〈4〉 (光文社古典新訳文庫)

レフ・ニコラエヴィチ トルストイ / 光文社





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by minori_sb | 2013-07-06 22:17 |

わたしの好きな本2 ファンタジー編

久しぶりに自己紹介を兼ねて、自分の好きな本をご紹介します。


前回、ミノリの読書はモンゴメリから始まったと書きました。
その後、ミノリは主にファンタジーの世界に浸ります。


きっかけになったのは、高校時代の親友から「これ面白いよ〜」と1冊の本を貸してくれたできごと。
彼女は村上春樹さんも紹介してくれて、唯一本のお話ができる友達かもしれない。


紹介してくれた本がこちら。

ハリー・ポッターと秘密の部屋

J.K.ローリング / 静山社




はじめて読んだときは、「こんな面白い本ってない!」というほどはまりました。
このあと、ミノリはハリポタ熱に浮かされます。
発売日には予約していち早く本を手に入れ、4巻と5巻は原書にも手を出しました。

しかし、発売までの期間が長く、そのあいだに外国のティーンズの文化についていけなくなり、簡単にいうと主人公ハリーに同調することがむずかしくなり、最終巻まで熱が続きませんでした。
たぶん、お気に入りのキャラクターへの思い入れが強すぎて、物語全体を味わうことができなくなっていたのだと思います。

ハリポタは単純に生き残った男の子の英雄伝などではなく、そこに内包されている問題は実に複雑だと思います。
熱に浮かされない頭で、もう一度じっくりと味わって読んでみたいなあと、ここで書きながら改めて思いました。
しかし、思い入れが強すぎて冷めた熱も激しいので、もうすこし時間がかかりそうです。


ハリー・ポッターが全盛期のころ、世の中はファンタジーブームだったように思います。
ミノリもそのころはファンタジーをたくさん読みました。

文庫 新版 指輪物語 全10巻セット (評論社文庫)

J.R.R. トールキン / 評論社



映画化も相乗効果になって、指輪物語も全巻揃えましたよ。
映画も毎回見に行きました。


あと個人的に好きなのはこちら。

「ナルニア国ものがたり」全7冊セット 美装ケース入り (岩波少年文庫)

C.S.ルイス / 岩波書店




物語の構成が素晴らしい。しかも読みやすい。1巻1巻が面白い。
多くの子どもたちに読んでもらいたい本だなあと思います。
もちろん大人が読んでも面白いです。


ただ、ファンタジーの主役は多くの場合大人よりは子どもです。
ファンタジーを最も楽しむことができるのはやはり子ども時代なのではないでしょうか。
大人が読んでも楽しめるし、大人になっても子どものこころを忘れずにファンタジーを楽しむこともできますが、多くのファンタジーが児童文学に入れられているのもやはりそこに子どものころに焦点が当てられているからだと思います。
子ども時代に多くのファンタジーに慣れ親しむことは、とても貴重な体験です。
だからこそ子どもにはたくさんのファンタジーに触れてほしい、と思います。

指輪物語のような例外もありますが。
あれは大人向きファンタジーだと思う。うん。


そういうわけで、ややそのときの熱に浮かされていた感じだったためか、現在はほとんどファンタジーを読んでいません。
でも、ある時期にたくさんのファンタジーに触れたことは、いまになって思えば、大切な体験であったのだろうと思います。
ミノリは子ども時代に本をそんなに読んでいないので、その代わりが必要であったのかもしれません。


ちなみに、まだ読んでいなくてこれから読みたいファンタジーはこちらです。

影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫)

アーシュラ・K. ル=グウィン / 岩波書店




ミノリはジブリのゲド戦記から入り、そちらがえらく気に入ってしまったので(なにを隠そう、岡田くんファンになったのはゲド戦記がきっかけという)、逆に原作に尻込みをしてしまいました。
でもそろそろ読んでもいいかなあと思うようになりました。

アンナ・カレーニナがひと段落したら、今年の夏はゲド戦記で決まりだね、といまから計画中です。
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by minori_sb | 2013-06-12 22:34 |

アンナ・カレーニナ2

盛り上がりを見せる第2巻です。

映画を見ているので、あ、これはあのシーンに使われているところだな、とか映画のシーンを改めて思い出したりして楽しみが増しています。

映画のリョーヴィンがキティに求婚するシーンがとても静謐でありながらドラマチックで好きだったのですが、小説では2巻に登場します。
小道具は変わりながらも小説の場面をうまく再現されていて見事だなあと思いました。


今回は、ひとりの登場人物をピックアップして語ることにします。

今回選んだのは、アンナのお兄さんのオブロンスキー氏。


アンナ・カレーニナはこの人の浮気話から始まるので、なかなか印象深い人物です。
小説にはさまざまな人物が登場しますが、どれも生き生きとして人間味があります。
オブロンスキ―氏もそのひとり。

2巻でつくづく思ったのは、ああこういう人がそばにひとりくらいいると、人生はもっと彩りが増すかもしれない、ということでした。
たくさんいては困ります。でもひとりくらいいると楽しい。

あの鋼鉄のカレーニン氏すら柔らかく包み込んでしまう人柄、周りの人々との調和を重んじ、常に周りの人が楽しめるようにと便宜をはかる姿は、ひとつの才能です。
オブロンスキ―氏の陽気さが、読んでいるこちらまで伝染してくるようです。
リョーヴィンはオブロンスキ―とは正反対の性格ですが、なかなかこのふたりに友情が続いているのは、正反対だからこそ、なのかもしれません。


もちろん人間どこまでも完璧というわけにはいきませんから、自分に正直であり続けるオブロンスキ―氏は相変わらず浮気を続けているわけですけれど。
でも、このひと根っこはやはり奥さんを愛していて、決して別れる気はないんだろうなあとつくづく思います。
帰れる家があるからこそ成り立つ浮気。
だからといって、ドリーの立場からすれば、決して面白くはないでしょうが。
ある意味では少年のようですね。


アンナの決定的なちがいは、彼女の場合家庭が最終的な帰結点になっていないこと。
あとがきにも書かれていますが、当時の女性の地位はいまと比べ物にならないほど低く、離婚の定義もだいぶちがいます。
そのなかで、あくまでひたむきに「自分らしさ」を追求しようとするアンナ。
彼女の目指すところは、当時のロシアからも、また彼女の恋人からも、遠い場所であったのかもしれません。

そして、この小説で感じる面白さの二面性。
アンナとまったく違うキャラクターであるリョーヴィンも、実は、アンナと目指すところは同じであるようにミノリは思います。
まったく異なるふたりが、それぞれに異なる方法で同じ場所を目指している。
ゆえに、アンナ・カレーニナは、表題のアンナだけではなく、リョーヴィンの物語がテープの裏面のように連綿と描かれているのではないでしょうか。





アンナ・カレーニナ〈2〉 (光文社古典新訳文庫)

レフ・ニコラエヴィチ トルストイ / 光文社







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次回はアンナ・カレーニナをちょっとお休みして別の本になります。

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by minori_sb | 2013-05-26 16:55 |


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